セバスチャン

海に浮かぶある島でのお話


セバスチャンには記憶がありません。
覚えていることといえばどこか高いところから落ちたことと、自分がセバスチャンという
名前だということだけです。 セバスチャンは両手がうまく使えません。たぶん高いところ
から落ちた時に 痛めてしまったからだと思います。そのため昼間は暗い森の落ち葉の下や
穴ぐらの中に隠れていて、夜になると木の実や他の生き物の食べ残したものを 食べて
なんとか生きていました。

セバスチャンの住む森のすこし先には海があり一日中波の音が聞こえてきます。
以前、一度だけ夜中に海を見に行ったことがありますが、暗くて風が強く波の音に恐れを
なしてすぐに森へ逃げ帰りました。落ち葉の中に潜り込み、
「やれやれ、ここが一番安心だ」
と思うのでした。

ある朝、海の方から鳥たちの騒がしい声が聞こえてきました。落ち葉の隙間から海の方を
見てみると一羽また一羽と飛び始め、やがて一斉に飛び立たつと森の上を回り始めました。
そして一羽が南の方へ向かうとそれに続いてみんな一斉に南へ向かって飛び去りました。
セバスチャンはそれを見て思いました。
「自分には関係ないや。空を飛ぶなんて恐ろしいし、翼も持ってないし」
落ち葉の中に潜り込んでここが一番だと思うのでした。けれどもこの出来事は
セバスチャンの心の中に深く刻みつけられました。食べ物を探している時も眠りにつこうと
している時も、この出来事が頭から離れません。自分は体が不自由なので毎日ひっそりと
身を潜めて地べたを歩きまわって生きているけど、彼らは自由に空を飛び回り大きな声で
歌っている。なんて羨ましいんだろう。そう思うと とても悲しくなりました。自分は
これから先もずっとこうやって暮らしてゆくのだと思うと涙が止まらなくなりました。
一晩中泣き続けているうちに空が少し明るくなって きました。
「そうだ、鳥たちが飛び立った所に行ってみよう」
まだ暗いから危険も少ないだろうと思い、セバスチャンはよたよたと森を抜けて
海の見える 崖に出てみました。ちょうど水平線の向こうから太陽が輝きだして
セバスチャンの顔を照らしました。
「なんて美しいんだろう。前に見た暗くて恐ろしい海とは大違いだ」
回りが明るくなり危険な時間になったことも忘れ、すっかり美しい海と青い空に
見とれていました。しばらくしてふと何かの気配を感じ、後ろを振り向きました。
「うわ、なんてこった!」
そこにはセバスチャンを食べようと獣たちが何匹もいました。
もはや逃げるすべはありません。森に隠れていればこんなことにならなかったのに
と後悔しましたが後の祭りです。じりじりと向かってくる獣たち。
海に向かって後ずさりするセバスチャン。取るべき道は 2つしかありません。
このまま食べられるか、海に飛び込むか。はっきりしていることはどちらを選んでも
命は助からないということです。彼は海に飛び込むことにしました。
「あいつらに食べられるくらいなら、あの鳥たちの真似をして飛んでみよう」
そして、よたよたと海に向かって走りました。どこからか落ちて目が覚めた日のことや、
木漏れ日の光、木の葉の匂いが頭の中をよぎりました。
「みんなさようなら!」
目をつぶって崖から飛び出して無我夢中で手足をばたばたさせました。落ちながら
崖から突き出ていた木の枝にぶつかり、はじき飛ばされさらに激しく落ちてゆきました。
なんだか時間がゆっくり流れているように感じます。海の波のしぶきがきらきら輝いて見えます。
風を体全体で受けて、終わりの時がやってきたと思い、目をつぶりました。
まだ海に叩きつけられてはいませんが強い風を感じます。体が軽くなったような気がします。
もしかしたら自分はすでに死んでいるのかもしれないと思い、うっすらと片目を開けてみました。

「飛んでる!?」

セバスチャンは風を受けて波の間を滑空している自分に気が付きました。いったいどういうこと
なんだろうと思っている間もなく目の前に大きな波がやってきました。あわててバタバタと
翼を動かして高く飛び上がりました。自分には手がないと思っていましたが、翼をもっていたのだ
という事に気づきました。そして高く、高く舞い上がるうちに失っていた記憶がよみがえって来ました。
巣立ちの日を迎えたセバスチャンは高い木から転げ落ち、記憶を失って自分が鳥だということを忘れて
いたのでした。

それからしばらくの間、飛び方の練習をしたり魚のとり方を学んだりして過ごしていました。
けれどもやがてそんな毎日が寂しくなってきました。彼はいつもひとりぼっちでした。夕暮れ時に
なると崖の上で泣きました。あの日旅立っていった仲間を想って泣きました。

ある日、いつものように崖の上から海を見ていると遠くの方から誰かがやってきました。
そしてセバスチャンを見つけ、舞い降りてきました。
「セバスチャンだね」
「そうだけど、どうしてぼくの名前を知っているの?」
「君のことは君が生まれた時から知っているよ。巣立ちの日に巣から落ちてしまって記憶を
なくしたこともね」
「じゃあなぜ助けてくれなかったんですか?」
「何度も助けようと声をかけたさ。だけど君はいつも落ち葉の中に隠れてしまった」
「ところであなたは誰なんですか?」
「私は君や仲間たちのリーダーだ」
話をしているうちに思いだしました。時々誰かが自分に向かってセバスチャンと呼ぶので
自分の名前を知ったことや、その声に怯えていつも隠れていたことを。
リーダーは言いました。季節が変わればこの島に住み続けることが出来ないことや、
風向きを考えると今すぐにでも旅立たなければチャンスはなくなること。もはや時間は
残されていないようでした。だけどセバスチャンは不安でたまりません。見たこともない遠い
南の国へ旅立つなんてとても無理だと思いました。食べるものも持たず、場所も分からないところへ
どうやって行くというのでしょうか。なんだかまた森の中の落ち葉の中に潜りこみたくなってきました。
そこで思い切って聞いてみました。
「食料も持たず行った先がどんな所かも分からないとこへ行くなんて無茶です」
リーダーはセバスチャンの目を見据えてゆっくりさとすように言いました。
「たしかにお前の言うとおりだ。我々は食料を持たず目標となるものが何もない海の上を飛び続ける。
そして行った先がどうなっているかも分からない。だが我々はずっと昔からそうやって生きてきたし、
これからもそうやって生きてゆくのだ。自分と、この翼を信じてね」
セバスチャンは獣たちに崖っぷちに追い込まれた日のことを思いだしました。あの日、死を
覚悟したけれど、今また覚悟を決める時なのだと思いました。あの時とちがって今の自分には
ふたつの翼があり、必要なことは自分を信じる勇気だけなのだと思いました。
「気持ちは決まったかい?」
リーダーの言葉にうなずくとセバスチャンは大きく翼を広げ羽ばたいてみせました。そこには
森の中に隠れ、おどおどしていたかつての姿はありません。その様子を満足そうに見ていた
リーダーが飛び立ちました。そしてセバスチャンも飛び立ちました。
落ちてゆく夕日が南の国に旅立つ2羽の姿をいつまでも照らし続けていました。

おしまい

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